「なんちゃって慈悲の瞑想」でも1年続けたら効果絶大
ビジネス系の書籍などで紹介されていた「慈悲の瞑想」。
「心が穏やかになる」と書かれていたので、無理のない範囲でテキトーに生活に取り入れてみたところ…。
1年続けたら、思っていた以上の効果が出て、私自身がビックリ。
今回は、正式な手続きを踏まない、「なんちゃって慈悲の瞑想」でも、1年続けたら、なかなかの効果が出た、という体験報告をさせていただきます。
「なんちゃって慈悲の瞑想」って何?
正式な「慈悲の瞑想」は、ざっくり言うと、次の通り。
・仏教を実践するうえで土台となる「慈悲の心(慈しみの心)」を育てるためにおこなう。
・決められた言葉を、静かに心にしみこんでいくように、丁寧に丹念に念じる。
・姿勢は背筋と頭をまっすぐにして、目を閉じておこなう。
「慈悲の瞑想」は、安定したメンタルをつくる方法、精神疾患からくる不安を和らげる方法として、何冊かの本に紹介されていました。
「ちゃんとやったら、素晴らしい効果が得られるんだろうなあ」とは思うものの、時間をさいて、イスや床に座り、目を閉じて、「慈悲の瞑想」をやるというのは、面倒…。
それで、私流にテキトーにアレンジしたのが、「なんちゃって慈悲の瞑想」です。
私が実践している「なんちゃって慈悲の瞑想」のやり方は、
①お風呂に入っているときに、「慈悲の瞑想」の言葉を唱える。
②頭を洗っているときは目をつぶっているが、ほかのときは目を開けている。
③身体はつねに動いている(あちこち洗っているのでね)。
④ゆとりがあるときは、言葉にそくしたイメージを思い浮かべる。
(例:「私の嫌い生命」について唱えるときは、ケンカした夫の顔をありありと思い浮かべる、など)
⑤言葉の区切りのいいところで、ゆっくり1回、深呼吸をする。
これだけです。
お風呂に入っている間、ずっと唱えているので、所要時間は、まあ、30分ぐらいでしょうか。
意外と長いので、実践時間としては、まずまずではないかと。
毎日、取り組んではいますが、すっごく疲れて、声を出すのがシンドイときは、お休みします。
「なんちゃって慈悲の瞑想」の効果
「なんちゃって慈悲の瞑想」を1年間、続けたところ、日常生活での変化を実感するようになりました。
すぐに感じることができる効果と、1年の積み重ねで感じる効果について、お伝えしますね。
「なんちゃって慈悲の瞑想」の即時的な効果
私が、「なんちゃって慈悲の瞑想」を始めたのは、母の死がきっかけでした。
私に対する母の最期の言葉が、「ナオミは、バカでノロマで、肝心なときに役に立たない」だったので、えらくショックを受けまして…。
どうしても、母の言葉を思い出して、ツラくなってしまうので、「慈悲の瞑想」を試してみたのです。
お風呂に入りながら、「慈悲の瞑想」の言葉を唱え続けていると、お風呂を上がるころには、なんと、気持ちが落ち着いています。
本当にツライ時期は、お風呂だけでなく、通勤電車の中、最寄り駅まで歩く道すがら、布団に入って寝つくまでの時間に、ブツブツと「慈悲の瞑想」の言葉を唱えました。
一心に唱えていると、心がスーッと穏やかになります。
あんなにツラかったのが、ウソみたい!
ただ、しばらく経つと、また、気持ちがクサクサしてきます。
粘り強く取り組むことが必要です。
「なんちゃって慈悲の瞑想」の長期的な効果
「なんちゃって慈悲の瞑想」を1年続けて感じた効果は、次の通り。
①日常生活で、ネガティブな感情が浮かんでも、30分もあれば、気持ちが軽くなる。
②「自分はこのままでもいい」という感覚がもてるようになる。
③自分のことを大切にできるようになる。
④自分のありのままを受け入れることができるようになる。
残念ながら、「慈悲の心(慈しみの心)」が育ったかは、微妙です…。
夫と夫婦げんかをするときは、相変わらず、ひどい言葉を吐き捨てていますからね。
まあ、それは置いといて。
効果があったことの裏を返せば、私は、「ネガティブな感情を長々と引きずる。自己否定の連鎖に苦しむ。自分のことを大切にできず、受け入れられない」といった苦しい思いを、ずっと抱えていたということ。
もちろん、数年にわたって、身体の感覚を通して自分を知る心理療法のグループ(ハコミセラピー)に参加したことも大きかったと思います。
でも、「なんちゃって慈悲の瞑想」は、苦しい思いから抜け出す、最後のひと押しとなったのです。
「なんちゃって慈悲の瞑想」をすると苦しみがなくなる理由
「なんちゃって慈悲の瞑想」というテキトーなものでも、毎日続けることで、苦しみがなくなったのは、なぜか?
苦しい思いをするのは、結局、「自分で自分に与えるダメ出し」だったから。
つまり、「慈悲の瞑想」の言葉を唱えることに集中すると、自分を責める考えがどこかへいってしまうので、心が穏やかになるのです!
私の場合、夜、お風呂に入っていると、一日にあった嫌なことを思い出して、「なんで、あんなことをしてしまったんだろう」、「本当に私はダメな人間」と、自分にダメ出しをするのが習慣となっていました。
何十年も、ず~っとやっていた習慣です。
もちろん、自分を責める裏には、「より良い自分になりたい」という切なる願いがあります。
だからこそ、「理想的な自分」になれないと、がっかりして、ダメな自分を嘆く、責めるという悪循環…。
そして、自分へのダメ出しを続けていると、どんどん苦しくなり、「私なんて、生きていてもいいんだろうか…」という気持ちになります。
自分を責めるネガティブスパイラルにはまっているとき。
「慈悲の瞑想」の言葉を唱えることに集中すると、自分を責める考えがどこかへいってしまうので、心が穏やかになるのです!
「慈悲の瞑想」の言葉を、間違えずに、順番どおりに唱えようとすると、自分を責めたり、嫌なことを思い出したりする「ゆとり」がなくなります。
つまり、嫌なことを思い出す・考える時間をもたなければ、心の健康が保たれるのです。
けずられることがなければ、心は回復していき、本来の力を取り戻します。
穏やかな心を手にするためには、自分を責める、あるいは、嫌なことを思い出す代わりに、「別なことをすればいい」のです。
「慈悲の瞑想」の全文
※日本テーラワーダ仏教協会HP 初期仏教の世界 「慈悲の瞑想」より引用
私は、幸せでありますように
私の悩み苦しみが、なくなりますように
私の願いごとが、かなえられますように
私に、悟りの光が、現れますように
私は、幸せでありますように(3回)
私の親しい生命が、幸せでありますように
私の親しい生命の、悩み苦しみが、なくなりますように
私の親しい生命の、願いごとが、かなえられますように
私の親しい生命に、悟りの光が、現れますように
私の親しい生命が、幸せでありますように(3回)
生きとし生けるものが、幸せでありますように
生きとし生けるものの、悩み苦しみが、なくなりますように
生きとし生けるものの、願いごとが、かなえられますように
生きとし生けるものに、悟りの光が、現れますように
生きとし生けるものが、幸せでありますように(3回)
私の嫌いな生命が、幸せでありますように
私の嫌いな生命の、悩み苦しみが、なくなりますように
私の嫌いな生命の、願いごとが、かなえられますように
私の嫌いな生命に、悟りの光が、現れますように
私を嫌っている生命が、幸せでありますように
私を嫌っている生命の、悩み苦しみが、なくなりますように
私を嫌っている生命の、願いごとが、かなえられますように
私を嫌っている生命に、悟りの光が、現れますように
生きとし生けるものが、幸せでありますように(3回)
※「慈悲の瞑想」の言葉がなじめない、難しいというあなたは、こちらの記事で別な言葉を見つけてみましょう。
いかがでしたか。
今回は、「なんちゃって慈悲の瞑想」でも、1年間続けると、心が健康になるということについて、お伝えしました。
なんちゃってでも、これだけの成果があるのですから、ぜひ、お試しください。
私自身、心を軽くするために、さまざまなことを試してきましたが、コスト対効果が一番良かったのは、「なんちゃって慈悲の瞑想」でした。
正式な形で取り組んだら、「慈悲の心」に到達するかもしれませんよ~。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。