【私が癒えるまでの全記録】⑫ 激しい感情が噴き出す
自己探求の過程で、「自分を否定する部分」が消えました。
これで、心穏やかな日々が送れると思ったら、大間違い!
感情が暴走するような状況となり、戸惑うばかり…。
そんな体験を通して、「自分を否定する部分」が果たしていた大切な役割を再認識しました。
自分を否定する部分がなくなったけど…
2018年の5月、ハワイのモロカイ島でおこなわれた「ハコミ・リトリート」に参加した私。
「ハコミセラピー(心と身体の両方に働きかけるセラピー)」の手法を使って、さまざまなグループワークをおこない、心の深い層まで掘り起こされました。
7泊8日の濃厚な時間と体験を通して、なんと、私を否定する部分が消え去ったのです!
私を否定する部分は、私の中にいる2人のキャラクター。
私は、自分の心の中に、6人のキャラクターを見いだしています。
6人のキャラクターの関係性を通して、自分に対する理解を深めているのです。
私を否定するキャラクターの一人は、「タカハシさん」という20代~40代の女性。
私が、失敗をしないように、あれこれと指示を出し、思い通りの結果を出さないと、ダメ出しや叱責をぶつけてきます。
もう一人は、「きいちゃん」という4~5歳の女の子キャラクター。
うまくいかないことがあると、「やっぱり私は要らない子!」と、猛烈に嘆き悲しみます。
「タカハシさん」も、「きいちゃん」もいなくなったら、どれほど心穏やかな日々を送れるだろうとワクワクしていたのですが…。
感情が爆発するような感じになり、自分でも戸惑うほどになってしまいました。
感情が爆発する
暮らしている中で、ほかの人に対して、「嫌だな」、「腹立たしい」など、ネガティブな感情が浮かぶことはありました。
でも、「ハワイ・リトリート」から帰国した後は、それまでとは比べものにならないほどの強い感情、特に、「怒り」が噴き出してくるようになったのです。
10倍ぐらいに強まった感じ。
初めて会ったのに「大キライ!」
感情の爆発が初めて起こったのが、帰国して1か月ほど経ったころ。
職場で新人さんに会いました。
普通にかわいらしい20代半ばの女性。
あいさつを交わしただけなのに、私の中に、「この人、大キライ!!」というものすごく強い感情がわきあがってきました。
私自身も、びっくりして固まってしまうほど。
だって、キライだと思う理由なんて、何にもないんだもの…。
本当にオタオタしてしまい、「ごめんなさい。なんか、今日、疲れていて…」と言って黙りこくり、その場をとりつくろいました。
夫とケンカをしたときに衝動的に飛び出す
帰国して3か月が経ったころ。
家族で旅行に出かけ、夫が運転する車で自宅へ帰る途中でした。
ささいなことで夫と口げんかになったら、「こいつを許さん!」という、ものすごく強い怒りが腹の底からわいてきたのです。
それまでなら、イラッとするものの、怒りは悲しみに変わり、落ち込んで動けなくなるというのが、お決まりのパターンでした。
ところが、怒りのボルテージがハンパなく、車中で夫と同じ空気を吸うことすらガマンならない状態に。
車が信号で止まった瞬間に、衝動的に車から降りてしまったのです。
そのまま、車が追ってこれないような方向へ走り、車をまいてしまいました。
夫から離れると、開放的な気持ちに。
道端にある看板(地図)などを頼りに、お散歩気分で1時間ぐらい歩きました。
近くの駅までたどり着くと、電車に乗って家まで帰ったのです。
(当時は、スマホをもっていなかったので、地図機能が使えませんでした)
自分を否定する部分が果たしていた役割
感情が爆発するという体験を通して、気づいたこと。
①自分を否定する部分は、ネガティブな感情が表に出ることを抑えていた。
②ネガティブな感情を抑えることは、小さい私にとってはメリットがあった。
それぞれについて、考えてみました。
ネガティブな感情を抑えていた
「タカハシさん」という批判的な部分は、やり過ぎな面はありますが、ダメ出しや叱責で、私の感情を封じています。
たとえば、新人さんの女性に会って、嫌な印象をもったとしても、「会ったばかりの相手を勝手に判断してはいけない」というダメ出しをするはず。
すると、相手にネガティブな感情をもつことは抑えられ、なごやかに過ごすことができます。
また、私の言動を嘆き悲しむ「きいちゃん」も、やり過ぎな面ばかりですが、相手を攻撃することを封じています。
たとえば、夫に対してイラッとしても、「やっぱり私は要らない子だから、ひどいめにあうんだ」と嘆き悲しみ、自分を責めるモードになる。
すると、夫を責めることはなくなります。
ネガティブな感情を抑え、平和に過ごすために、私を否定する部分が、暗躍していたのです。
幼い私を守っていた
アラフィフにもなって、ネガティブな感情を上手に表現することが、未成熟なままとは…。
情けないこと、この上ないのですが、それだけ、ネガティブな感情を抑えることは、私にとってメリットがあったのです。
幼い私にとって。
母は、カッとすると、とても感情的になり、私を叱りつけたり、ひどい言葉を投げつけたりします。
幼い私にとっては、とても恐いことでした。
母を怒らせたら、捨てられてしまうかもしれない。
私がじっとしていれば、それ以上、母を怒らせることはない。
ネガティブな感情を抱いても、それをグッと抑え、母に見せないことで、生き延びてきたのです。
幼い私にとって、それが身を守る精一杯の方法。
問題は、幼いときにうまく機能していた方法に、何十年もしがみついてきたこと。
これは、私の最大の特徴でもあるのですが、私は、「母に認めてほしかった」のです。
「母親は私を認める余裕がなかった人」と、心のどこかで見限ることができる人は、問題の解決が早いです。
親への執着を手放し、自分の足で歩いていくことができます。
でも、母に執着し、母に認めてほしいと切望する私のようなタイプは、幻想にしがみつくように、母に褒めてもらう日を夢見て、母親を手放すことができません。
母が好きだから。
子どもじみた考えですが、幼い子が大切にしていた考えです。
それに、母に褒めてもらうために頑張るということが、生きる支えだったのかもしれません。
でも、感情を表現する機会が、あまりにも乏しいと、感情の出し方が分からなくなります。
ずっとためこんだ感情があるだけに、感情を出してもいい状況になると、一気に噴き出てしまうのです。
私の体験から気づいたのは、自分を否定する部分を雑に扱ってはいけないということ。
自分を否定する部分には、幼い自分が生き延びるための知恵がつまっています。
その知恵に感謝をして、これまで頑張ってきてくれたことをねぎらうことが大切です。
なので、自分に対する否定的な部分を、肯定的な考えに修正することを強いるという方法は、気をつけないと、新たな苦しみを作ってしまいます。
また、自分を否定する部分を、あっさりと消してしまうと、感情をコントロールする部分が未成熟な場合、感情が暴走して、さらなる苦しみを生んでしまいます。
苦しみが深い人ほど、ゆっくりゆっくり、自分を否定する部分と仲良くなっていき、共存していきながら、バランスを整えていくことが必要です。
私の場合、帰国して半年が過ぎると、「タカハシさん」や「きいちゃん」が顔を出すようになりました。
その後も、消えては現れるということをくり返しながら、その都度、悪戦苦闘しています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
続きはこちら。自分を嘆く存在が弱くなったお陰で、新しい体験を得ました。