【私が癒えるまでの全記録】⑬ 愛されてもいい存在だと体感する

2020年11月8日

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自分を責めてしまうことで、ツライ思いを抱えてきた私。

「だからこそ、心軽やかな心境を味わってみたい!」という切なる願いを胸に、自分を知るための努力を続けてきました。

すると、自己否定にとり憑かれているような私でも、「私は愛されてもいい存在だ」と実感する瞬間が訪れたのです。

今回は、自己否定の連続だった私がつかみとった「新しい体験」について、お伝えします。

 

対人恐怖っぽいところを再確認するかと思いきや…

 

2019年3月におこなわれた「ハコミセラピー(心と身体の両方に働きかけるセラピー)のスペシャル・ワークショップ。

「ハコミセラピー」シニアトレーナーの資格をもつ、カナダ人のジョージア・マービンさんが来日して、ワークショップをリードします。

 

20人~25人ほどの参加者が、さまざまなワークを通して、人間関係の在り方に気づいていく、スペシャルな2日間。

その中で、4人組でおこなうワークがありました。

①体験者2人が10mぐらい離れた距離に向かい合って立ち、1人は立ったまま動かず、もう1人は、相手にゆっくり近づいていく。

 

②体験者それぞれに、1人ずつ、記録担当者が付き添い、体験者が感じたことを聞き取って記録していく。

 

③立ったまま動かない1人が、自分の感覚で、相手がこれ以上近づいても、これ以上離れても、居心地が悪くないという距離を見極め、相手に留まってもらう。

 

④ちょうどいい距離で留まった2人が、互いにどんな感じがするのかを味わう。

 

⑤最後に、体験者2人、記録者2人、それぞれが感じたことをシェア(共有)する。

私は、そのワークの概要を聞いて、嫌な気持ちになりました。

 

対人恐怖っぽい感じのある私は、相手が近づいてくるにつれ、怖さが増していき、かなりの距離がある時点で、「ストップ」をかけるはず。

そして、ほかの参加者に比べて、笑ってしまうほど離れた距離をとっている自分に対して、劣等感を感じるんだろうなあ。

 

渋々始めたワークでしたが、予想もしない展開となりました。

 

自分は愛されるに値するという体験

 

私のお相手は、「ハコミセラピー」に初めて参加するという若い女性(20代ぐらい)。

相手の女性と私、それぞれに記録担当者がつき、記録担当者にコソコソと感想を伝えると、ささっと記録してくれます。

 

10m先に立つ女性を、マインドフルネス(ゆっくりと深呼吸をしながら、自分の身体の中に起こることを感じる)の状態になって見たとき。

意外や意外。

ものすごく、うれしくなったのです。

 

「ママが迎えに来てくれた!」

 

ずーっと待ちわびていた私の母が、私を迎えに来てくれたという喜びが身体の中を駆けめぐります。

もう、うれしくてうれしくて、感激のあまり、涙がにじむほど。

 

「でも、近づいてきたら、ママじゃないって分かって、がっかりするかも」

 

そんな不安を抱きながらワークを続けたのですが…。

母を投影した女性が一歩一歩近づいてくるにつれ、喜びが胸をつきあげてきます。

 

「ママが迎えに来てくれた!ママだ!ママだ!」

 

私は、身体が触れ合う距離まで女性に近づいてもらい、近くまでやってきた彼女を抱きしめて、感極まって、号泣。

長年の夢がかなったような、うれしさ。

 

そして、「そのままの私でも、母から愛されるんだ」と、腹の底からわきあがるような喜び。

私が、のどから手が出るほどに、狂おしいほどに求めていたものが、手の中にありました。

 

自分が必要としているものを得ると癒される

 

スペシャル・ワークショップに参加する10カ月ほど前に、自分自身を嘆く存在(「きいちゃん」と名づけている部分)が、一時的に消えるという体験をしました。

 

自分を嘆く存在は、ネガティブな感情を抑えこむ働きをしていたようで、それが消えると、感情がふき出して大変なことに…。

 

まあ、ネガティブな感情を何十年もためこんでいたので、とんでもないことになったんですけどね。

 

でも、感情を抑え込む力が弱くなった分、「自分にとって必要なものを得たい!」という欲求も、ストレートに出せるようになっていたのです。

 

私の心の中にいる「小さな子ども」、おそらく、幼少期の私が必要としているものが、「母から褒められること。認められること」

目の前に、私が幼いころの母と同年代の女性が立った途端、「小さな子ども」は、自分のほしいものに、思いきり手を伸ばします。

ワークの意味も、何もかもふっ飛ばして、自分のほしいものをつかみとったのです。

 

「ずーっと待っていた母が迎えに来てくれた」という体験。

これは、「私は母から愛されて当然の存在だ」という、幼少期の私が心の底から求めていたものを象徴しています。

 

ほしいものが「ほしい」と言えるし、つかみとることができる。

人には、そうした能力が備わっているのですが、私の場合は、そこにいたるまでに、かなりの時間を要しました。

 

でも、諦めなければ、たどりつけます。

自分が本当にほしいものを手にしていけば、心は軽やかになるのです。

 

 

自分を否定する部分をパワーダウンさせながら、自分にとって必要なものを手に入れていく。

その地道な営みが、癒しなのではないかしら。

まあ、私の場合は、自分を否定する部分が、なかなか強力なので、一筋縄ではいかないんですけどね。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

続きはこちら。「母から愛されて当然」という体験を経て、母と私との関係性が見えてきました。

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