思春期の子どもに手を焼くときは、勝手にネタにして遊んでしまおう
思春期の子どもに対して、ほどよい距離をとり、見守るようなスタンスで関わる。
常に実践できたら、何よりですよね。
でも、親だって、人間。
思春期の子どもの、ああだ、こうだ、につきあっていたら、怒りが爆発し、思わず、声を荒げてしまうことだってあります。
とはいえ、声を荒げた後、親子関係がこじれたり、子どもの言動がおかしくなったりすると、どうすれば良かったのか、悩んでしまいます。
どうしたらいいか?
ずばり、親が「ゆとり」をもつこと。
「ゆとりがあったら、こんなに苦労はしない!」
その通りです。
だったら、遊んじゃいましょう。
「遊び」には、「楽しく遊ぶ」という意味だけではなく、「ゆとり」という意味もあります。
「遊び」には、いろいろあると思いますが…。
今回は、思春期の子どもをネタにして勝手に遊ぶ方法、うまくいかないときの対処法について、お伝えします。
ネタにして笑い飛ばす
思春期の子ども、そして、親自身の「言動(言ったこと、やったこと)」を、ネタにしてみましょう。
ギャップのある言動を、2つ並べるのが、おススメです。
たとえば、うちの息子(中2)に関するネタ。
息子は、「お母さんは、お父さんに期待するから、腹が立つんだよ。俺は、もう期待してないから」と、立派なことを言う。
その一方で、父親に勉強するよう言われると、息子は、父親にめちゃめちゃ腹を立てる。
次に、私に関するネタ。
息子が、父親に対して腹を立て、「もう、一緒にいるのは無理だ!」と言ったとき。
私が、「お父さんの特徴は、どんなに言っても、そう簡単には直らない。死ぬのを待つしかない。でも、手をくだして犯罪者になるのも嫌だ。のろいの儀式でもする?」と伝えたら、息子がたじろいだ。
ブラック過ぎるネタは、通好みですかね。
「ネタ遊び」には、聞き手が必要
私の場合は、息子のネタ、私自身のネタを、友だちに話して、一緒に爆笑します。
また、私が、スクールカウンセラーとして、ご相談をうけたまわっている保護者の方々にも、同じようなことが起こっています。
最初は、お子さんへの対応に困って、つらそうにされていたり、怒り心頭だったりする、保護者の方々。
ところが、次第に、お子さんの言動や、お子さんに関わるご自身の言動を、ネタにしちゃう保護者の方々が、現れてきちゃう!
大変なことがあっても、笑い話になってしまうのです。
お子さんのことをネタにする保護者の方々が、イラッとしてお子さんを叱りつけたり、ガッカリしてお子さんの前で泣いたりしても、大きな問題は起こりません。
「ネタ遊び」ができるようになると、保護者の方々の気持ちに「ゆとり」が生まれる。
すると、理想的な親の対応(怒らない、感情的に取り乱さない)ができなくても、子どもにあまり害を及ぼさないんです。
ただし、「ネタ遊び」をするには、子育てにまつわるネタを、聞いてくれ、一緒に笑ってくれる人が必要です。
「ネタ遊び」の聞き手が見つからない場合については、次に説明します。
「ネタ遊び」ができない理由と対処法
子どものネタ、親自身のネタを、作ることすらできない。
その理由は、以下の通りです。
「考え方のクセ(ビリーフ)」にしばられている
「考え方のクセ(ビリーフ)」にしばられていると、子どものネタ、親自身のネタは、作れません。
たとえば、こんな「考え方のクセ(ビリーフ)」が、あるかもしれません。
- 人から笑われるようなことをしてはいけない
- 身内の恥をさらしてはいけない
- 親として、子どもをネタにするなんて、けしからん
まずは、自分にどんな「考え方のクセ(ビリーフ)」があるか、ピックアップしてみましょう。
怒りや傷つきが大きい
思春期の子どもに関わる中で、怒りや傷つきを強く感じている場合。
心のゆとりがなくなり、「遊ぶ」ことすらできなくなります。
「遊ぶ」前に、まずは、誰かに、怒りや傷ついた気持ちを話し、共感してもらうことが必要です。
お子さんが、小中高校に通っているなら、その学校のスクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカーに相談してみましょう。
地域の相談機関に、連絡してみてもいいでしょう。
孤軍奮闘している
たとえば、配偶者が子育てにまったく協力してくれない、話を聞いてくれる人が身近にいない、といった理由で、親が孤軍奮闘している場合。
その日を過ごすだけで精一杯なのですから、親自身に「遊ぶ」ゆとりなど、ありません。
「この世にひとりぼっち」という感覚は、心にも、身体にも、害を及ぼします。
精神的なサポート(話を聞いてもらう、共感してもらう)、物理的なサポート(家事を代行してもらう、子どもの世話をしてもらう)を、受けることができる機関を探してみましょう。
そもそも、「ネタ遊び」が嫌いな人、苦手な人にとって、今回の記事は、嫌悪感しか、わかないかもしれません。
でも、考え方や見方を広げる「遊び」と思って、読んでいただけるとうれしいです。
私は、いつでも、勝手に、あなたを応援しています。